ヨハン・ヴィルヘルム (ザクセン=アイゼナハ公)
ヨハン・ヴィルヘルム Johann Wilhelm | |
---|---|
ザクセン=アイゼナハ公 | |
在位 | 1698年 - 1729年 |
出生 |
1666年10月17日 神聖ローマ帝国 ザイン=アルテンキルヒェン伯領、フリーデヴァルト |
死去 |
1729年1月14日(62歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン=アイゼナハ公領、アイゼナハ |
配偶者 | アマーリア・ファン・ナッサウ=ディーツ |
クリスティーネ・ユリアーネ・フォン・バーデン=ドゥルラハ | |
マグダレーネ・ジビッレ・フォン・ザクセン=ヴァイセンフェルス | |
マリー・クリスティーネ・フェリーツィタス・フォン・ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク=ハイデスハイム | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=アイゼナハ公ヨハン・ゲオルク1世 |
母親 | ヨハネッテ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザイン |
ヨハン・ヴィルヘルム(Johann Wilhelm von Sachsen-Eisenach, 1666年10月17日 - 1729年1月14日)は、ドイツ・テューリンゲン地方の諸侯の1人。ザクセン=アイゼナハ公爵(在位:1698年 - 1729年)。
生涯
[編集]ヨハン・ゲオルク1世とその妻でアルテンキルヒェンの女領主であるヨハネッテ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザイン(1632年 - 1701年)の間に第4子、三男として生まれた。1685年に両親の取り計らいにより、兄ヨハン・ゲオルク2世がアイゼナハ公爵領を相続するのに対し、ヨハン・ヴィルヘルムにも王侯としての生活が保障されるべく、母からザイン=アルテンキルヒェン伯爵領を受け継ぐことになった。
ヨハン・ゲオルク2世が1698年に子供のないまま死ぬと、公爵領を継承した。文化人気質で、ゲオルク・フィリップ・テレマンらの音楽家を宮廷の聖楽隊に参加させている。
子女
[編集]生涯に4度結婚し、合わせて12人の子女をもうけている。
1690年11月28日にナッサウ=ディーツ侯ウィレム・フレデリックの娘アマーリア(1655年 - 1695年)と結婚し、間に1男1女をもうけた。
- ヴィルヘルム・ハインリヒ(1691年 - 1741年) - ザクセン=アイゼナハ公、1723年ブランデンブルク侯子アルブレヒトの娘アンナ・ゾフィアと結婚
- アルベルティーネ・ヨハネッタ(1693年 - 1700年)
1697年2月27日にバーデン=ドゥルラハ公子カール・グスタフ(バーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ6世の息子)の娘クリスティーネ・ユリアーネ(1678年 - 1707年)と再婚し、7人の子女をもうけた。
- ヨハネッテ・アントイネッテ・ユリアーネ(1698年 - 1726年) - 1721年、ザクセン=ヴァイセンフェルス公ヨハン・アドルフ2世と結婚
- カロリーネ・クリスティーネ(1699年 - 1743年) - 1725年、ヘッセン=フィリップスタール方伯カール1世と結婚
- アントン・グスタフ(1700年 - 1710年)
- シャルロッテ・ヴィルヘルミーネ・ユリアーネ(1703年 - 1774年)
- ヨハネッタ・ヴィルヘルミーネ・ユリアーネ(1704年 - 1705年)
- カール・ヴィルヘルム(1706年)
- カール・アウグスト(1707年 - 1711年)
1708年7月28日にザクセン=ヴァイセンフェルス公ヨハン・アドルフ1世の娘マグダレーネ・ジビッレ(1673年 - 1726年)と3度目の結婚をし、間に1男2女をもうけた。
- ヨハンナ・マグダレーネ・ジビッレ(1710年 - 1711年)
- クリスティアーネ・ヴィルヘルミーネ(1711年 - 1740年) - 1734年、ナッサウ=ウージンゲン侯カールと結婚
- ヨハン・ヴィルヘルム(1713年)
1727年5月29日にライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク=ハイデスハイム伯ヨハン・カールの娘マリー・クリスティーネ・フェリーツィタス(1692年 - 1743年)と4度目の結婚をしたが、間に子供をもうけることなく死別した。
外部リンク
[編集]先代 ヨハン・ゲオルク2世 |
ザクセン=アイゼナハ公 1698年 - 1729年 |
次代 ヴィルヘルム・ハインリヒ |